時事問題やスピリチュアル業界に関するひとりごと 

10年以上スピリチュアルや自己啓発系 心理学系セミナーやコースを受け、気づいたこと。

なぜ書くか。私の意図

このブログをなんで書いているのだろう。
むかしはアメブロをやっていて、誰かに読んでもらえるといいなっておもってたけど、
このブログは、なんで書いているか、よくわかっていなかった。
もちろん観察日記なので、特に意味はなく、できごとつれづれを書いているのだけど、
日記でなく、メッセージ口調になってしまい^^;これは語りたがりの自分の一部のためではないか。と思う。


マインド(頭の中のおしゃべり)は大きく二種類あって、ひとつは、ネガティブ思考なんで、こうなんだ、あいつはいつもあーだ、もういやだ、うんざり、うっとうしい、
なんて、だいたいきまったパターンがある。
これについては、パラダイムシフトを終えて、なくなった。時折顔を出すけど、すぐに、
シフトできる。
もう一つが、そう、語りたがりの教えたがり。
このように内容がネガティブでなくても、左脳的ロジック思考しているときは、どうしたって、周波数がさがる。呼吸に意識が向かない。
ので、極力その時間を減らしたいのだ。
しかし、そうすると、語りたがりの自分が不満なので、ここに書く。というわけ。


以前は実名でやっていたから、読者がいなくても、なんとなく気を張って?書いていたのだけど、ここは匿名で書いているから、お気楽である。


さてさて、このブログの意図はと問いかけてから、何時間か経って、まとまり始めました。
それは、世の中の洗脳を解く、ということです。私自身もどっぷり洗脳され、自分が奴隷だったことに気づかず^^;
お金に関する洗脳と、幸せに関する洗脳です。
これちはちーと覚悟がいります。
なぜかというと、あまりにもお金というものが生活の細部に、そしてからだの細部にまで浸透しているので、お金がない=死というふうに、生存を脅かすものになっているためです。しかし、ひとつづつ、理性をつかって(ここでスピにいかないほうが良い。なぜなら、ほとんどすべてのスピは拝金主義だからだ。あるいは逆にお金=不浄という偏った思想)
ひとつひとつ紐づけを外していけたらよい。と思う。
わたしがたっぷりお金と時間をつかって得た情報を無料で提供したいと思う。
お金がなければ、何も得られない、という呪縛を解いていこう!
そんなこといったって、お金がほしいもーーん。という方こそ、ここ大事。
お金に対する正しい知識、付き合い方、距離、を得てからやったほうが、断然いい。
そうでなければ、ラットレースにはまり、所詮負けるしかないゲームを続けるだけだ。
お金と幸せの紐づけを解いておくことが、なにより大切だ。
だって、生存の次に、お金が欲しいと思う意図はなにですか?
とにかく生きるためにお金がいる、という方だって、無駄にお金を使っていたら、
抜け出せませんからね。
私自身がばこばこ稼いでるわけではありません。念のため。
ただ、働きたくなーいという願望はかなえております。


どんな人のセミナーもやはり行きつくところはお金を稼ごうとなっています。
彼らとて、ビジネスなので稼がないかんのです。
罠です。セミナーははしごしないでください。
セミナーをうけるには、こちら側にもコミットがいります。
セミナーに行ったからと言って、OKだとおもっては、いけません。
大枚はたくなら、準備していったほうがよいのです。
わたしなら、こういう人は要チェックという人。
セミナーが主たる収入源で、家庭をもっていて、小さい子供がいる。
ごめんなさい。必死すぎます。守るべきものが大きすぎる。拝金主義に陥りやすい。
当然と言えば当然だが。 子供が巣立っていれば問題ない。
お金の洗脳をとけてない人。当たり前ですね。
ホリエモンとかって別格ですよ。すきなことやってればOKというのは、ある条件の元でしか機能しません!!! ホリエモンには見えないサポートがあります。


どこまで人がお金を極力使わずに、幸せでいられるか、
あまりお金が使えない人だって、あまり家庭の富に恵まれてない人だって、幸せというのはお金とは別次元にあることを知ってほしいと思います。
搾取し搾取されのゲームの外へでるのです。
お金がほしいという人はともすると、搾取する側にまわりたい、と思っていませんか?
それでは負けなんです。 
勝ちも負けもないところにいかないと。

身体に紐づけされたあれこれ

MJではじけた、の記事の補足。
これは、普段とちがうからだの使い方をしたことで、いままで、身体の筋肉、それも微細筋肉にくっついていた情報が立ちぎれたということなんです。


人間の特性として、楽なほうへいきますね。何度も繰り返すとで、負荷をかけずに、物事を処理できます。体の使い方も同じで、たとえ小さな行動。
それこそ、食べるときの姿勢、噛み方、歯の磨き方、家事、重いものを持つとき、
毎日毎日同じように体をつかっていくのです。省エネですから。
すると、なんどもなんども折り目をつけると二重になるように!? 
形状記憶されるのですね。
そして、そのとき一緒に思考回路というか、そういったものも、紐づけされるのです、
a →  b → c → d → e  こんなふうに直線的に。
もちろん、その日に楽しいことがあったり、すると、思考の内容は変わるけど、回路は一緒。自分のマインドがどう動いているか、頭の中のおしゃべりを聞いてみるとおもしろいです。


自信のないひとは、胸が閉じがちという傾向はありますが、もし、なにか、変化を起こしたいときは、身体的なところから始めるといいかもしれません。
とかく現代人は頭の中のおしゃべりっでいっぱいか、他人というか外側ばかりみるので、
自分の身体に意識をむける、これ以上自分の身体が喜ぶことってないですよね。


わたしの思考回路が~


実は、この情報はとっくにもっていたのです。体に意識をむける。
ただ、どうやったらいいのかよくわからなかったし、もし語り掛けでもしたら、
たくさん食べれなくなるーって、もうひとりの自分が拒否っていたのです。
ハヤメシをやめれなかったのも、やめたい自分と、やめたくない自分が葛藤していたため、うまくすすまなかったのですね。
時間はかかっても、そんな葛藤で前に進めない自分にも、一瞬一瞬穏やかでいたいものです。

MJではじけた

知人のブログを読むようになってから、彼からはたくさんのインスピレーションをもらっている。その一つがマイケルジャクソンだ。


記事をみて、なんとなくDVDを手に取り、断捨離をすすめていたものだから、もういいかな、と思ったのだが、ふと、もう一回だけ拝んでからでもいいな。


釘付けだった。あんなに何度もみたのに、マルチタスクっと、見ながら何かをしようと思っていたが、目は画面から離れなかった。


のめりこんではいたが、あれこれ解釈?頭の中のおしゃべりなく、無意識というか、つまり、ぼーっと見ていたら、自然と彼らの生命力、躍動感のようなものが、もっともこれは後になって振り返ると、の話だが、私の情報空間にインストールされて、つまり、モデリングをしていた。のだ。わたしは、自然と”彼らのように”ダンスを始めた。ひとり。。。


実は、そのころわたしは、生きることに意味が見いだせず、明日死んでもいいなくらいの毎日を送っていた。振り返れば、虚無っていたという感じ。
この世が幻想なのに、なぜ生き続けるのか。また、あることをしたい、とおもっていたのだが、幻想だと知っても、それがかなわずにいた。
そうすると、だんだんなぜ生きているのか、まだ死ななかいのか、って。。。
だんだん身体も気力もなえてきていた。 やさぐれていたというのとは違うのだ。
やはり虚無感


とにかく、そんなわたしに、ひとつの目標にむかってすべてをかけている人間たちの、
なにか、が伝わり。私の中に、生命フォースがまた立ち上がった。
べつに、目標をみつけたわけでもないし、まして、ダンサーになろうなぞと思ってわけでもない。


そして、もう一つ大きな出来事がおこった。私の中ではじけとんだもの
それはまたしても彼の記事を読んでいて起こった。