時事問題やスピリチュアル業界に関するひとりごと 

10年以上スピリチュアルや自己啓発系 心理学系セミナーやコースを受け、気づいたこと。

スピ族はデュープス

スピリチュアル信仰者、パワーストーンだの香りだの大麻だの言ってる人は間違いなく
パよっていて、かわいそうな私を演じている。
常に癒されたい、人を癒したい救いたい、というドロドロとした次元にいる。
自立した人はそういうことは思わない。救いたいとかいう信条をもっていない。
これは救わないことをいみしない。この理屈がおぱよにはわからず、冷たいとなる。


ぱよってるひとはまだ戦後、いや戦前からしかけられた日本人全体への洗脳にもきがついておらず、いまだ戦争責任を天皇と日本軍のみにおしつけ、自分たちはかわいそうな犠牲者というポジションをとっている。
どんなときでも、(ナチスのホロコースト)でも世論というものが大きく関与しているのは疑いようがない。自分たちにまったく非がないというのは、ほんとうにめでたいメンタルだ。
まあ、これがお花畑な脳みそがなせるわざだ。


ところで、昨日の天皇万歳について、そういう人たちは、それをみて嫌な気持ちになる人のことを考えようてきなことをのたまう。
お得意の”表現の自由”はどうした?
昭和天皇のお写真を焼いて、それをみて嫌な気持ちになる、ぱよっていない日本人の気持ちをおもんばかることは彼らにはできない。なのに
私たちの気持ちをわかってーー
という。
いや、実際は彼らはエゴが強すぎて、私の気持ちとはいわない。自分は弱い人間だと認めることができない。むしろ、
私はいいの、彼らがかわいそう。私は大丈夫でもマザーアースが泣いてる
ってな具合だ。 自分の傷を見ることができないので、他人の傷に自分の傷を投影して、だれかこの傷をいやして、癒すべき、気持ちをわかって、わかるべき
そうしない社会はけしからん、という独善的態度をとる。
もちろんきがついていない。
自分のダークで、ドロドロしたぶぶんはしっかりと蓋をして
きれいなピカピカした世界に住んでいる(と思っている)


話は戻って、こういう矛盾、というかダブルスたんだーどを平気で持ち込むのは、
結局理性が働かず、情動という動物レベルで生きているからなのだ。
英語でいう所のemotional baggageを抱えていて、常に自分はかわいそうなのだ。


他人の気持ちをおもんばかる
これは日本人が大切にしてきた道徳というよりは気質である。
だから言わなくてもわかるとか、空気を読むとか、
だけど、それに甘んじては、だめですね。


まあ、最近のスピリチュアルはその反動からか、やりたくないことはやらない、
といって、乳飲み子を抱えながらの離婚、仕事がないのに移住、という家庭崩壊をやらかすらしいです。
これはうまくいくケースといかないケースがあります。それは誰の声なのかということ。もし、ここで暴走しているのは、かわいそうな私、副人格なら、後悔することになる。
魂の声なら大丈夫だが、実際は、葛藤をかかえます。
なぜなら覚醒していない人は、集合意識の影響をうけるので、どうしても潜在意識に
子供の世話は母親がするべきだ、というのがあります。もちろん動物的本能もそうでしょう。だからね、結局うまくいかないんですよ。


まあ、うまくいくもいかないもどうだっていいですが。
自分の細胞すべてがイエスといっていないことはうまくいかないんですよ。
うまくいっているように見える人も、心の中は寂しさと不安でいっぱいですよ。
そこから歪がでてくる。
うまくいかなくて当たり前ぐらいに構えたほうがいいですね。
ポジティブスピのセミナーやって自己催眠掛けないほうがいい。