時事問題やスピリチュアル業界に関するひとりごと 

10年以上スピリチュアルや自己啓発系 心理学系セミナーやコースを受け、気づいたこと。

陰謀論につかりすぎ注意!

スピ探求をやったり、なぜうまくいかないんだ!!なんて自分探しをやっている
(どちらも自分に目を向ける点で、良いことと思う、いや人間として自然だ。)
ユダヤとかイルミナティ、ロスチャイルド、ロックフェラー、ダウィストック、なんて言葉にたどり着くと思う。
また、近年の歴史をみれば明治維新からはじまった教育制度(労働者=奴隷を作る学校)、GHQによる自虐史のすりこみ、西洋文化を上とする見方などなど。
なんといってもアメリカの属国であることは悲しいかな事実だ。
しかし、日本人が目覚めていけば、必ずや。。。。。 演説みたい^^;


わたしも、どっぷりつかっていたんだけど^^; しまいには、経済破綻説を信じて、
お金をどんどん使った。 あとからわかったんだけど、ホメオスタシス効果が働いたともいえる。 こんなに(←主観です。100万でも、1000万でも、1億でも人それぞれ)お金をもっている自分が、不安定になってくるから。


陰謀論でいわれていることはおおむね(どれが?)事実なんだけど、たとえばユダヤ金融資本なんかは、お金がどうやって作られたか、世界の中央銀行がある国。お金の流れ方。なんかをみていくと、事実になる。たしかにそうなんだけど、わたしとしては、一つの宇宙の流れが具現化されたものだとおもっている。 
たとえばちからでワンネスを目指すながれが、それとは真逆の(東洋、日本)の中に
流れてくる。ぶつかりあい、そこから新しいものがうまれる。
つねに破壊と創造  そのなかに維持もある 


だから陰謀論に取りつかれると、なにも解決しない。


見方、というか視点がまったく変わっていない。


本当は、自分のフィルターというか思考というか、自分を変えていかなきゃいけない。


陰謀論者というのは、どこまでいっても、 社会が悪い!の延長。
自分以外(自分と切り離された物)が(主語)わたし(たち、日本)を悪くした。
主体が外にある、ことに気づくと思う。
これはいいかえると、 わたしには力がない! 私は弱い、独立できない! わたしは犠牲者であり、被害者である、(いいかえると永久に支えがいるという意味。これは援助とはちがう。援助は一時的だ。) と 声高らかに、宇宙に宣言しているようなものである。
宇宙と自分を切り離している状態。
きみたち人間は神に近づけない、わたしが神とつながってあげましょう。
と、宗教がはじまる。迷える子羊を支配する。保護下でまじめにルールを守り、忠誠をちかく。


これは、悪いことでなく、かならず人類が通る道、 人の一生とおなじ。
もうすでに、さんざんわれわれの祖先がその役をやってくれたのだ。
主人との忠誠をちかいあう美しドラマは、まさに、ドラマだけにしておこう。
アクエリアスに生きるわたしたちは、次の段階へ行っている!
いまはその過渡期でカオス状態なのだ。支配の構図が明らかになるような事例がワイドショーをにぎわせたのも そのながれ。 いよいよオリンピックもただの商業主義にのっかった作られたイベントだということに日本中が気づくだろう。
オリンピックの魔法がとける。 湯水のように税金をたれながす。
もうかるのはスポンサーだけ。
もちろんわたしたち庶民にも恩恵がある。すこしのあいだ、夢見でいられる。
○○選手!きゃー なんて いって、自分や現状から目を背けれらる。
だから彼らは別に悪くない。
スポーツはもっとマイナーなものを応援してもいいし、世界選手権を応援してもいい、
ふだん見ていないのにオリンピックのときだけ、もりあがるのは、ムードにのまれているだけ。十分に込めて込めて応援しよう。十分たっぷり酸いも甘いも両方夢見で遊べば自然に落ちる。いつのまにか娯楽だったものがノイズにかわる。そしてただの音になる。


本質のわたし、は”神”につながってます。神がいやなら、大いなるものでもいいし、
エネルギーでもなんでも、
もし、マインドのおシャベりが自分だとおもっているなら大間違いです。
何度も言います。これは経験からはっきりいえます。マインド(頭のおしゃべり)は自分ではない!!!もっといえば、わたし、と定義しているものは、考えているよりずーーーーーーーーと柔軟で、広い。 もちろん、自我(マインドは)これがわたし、という確固たる境界を作っているが、無意識的には違う。
例をあげると、車にのっていて、ぎりぎりかとおれるかどうかの高架下をくぐるとき、
頭をさげませんか? 道路に踏んではいけないものがあって、車で踏むとき、足上げませんか? おそらくですが、一流プレーヤーはラケットとかが身体の一部となってるのではないかな?
また、性格というのも変わるのは周知のことだし。


また話が飛びました。
どんな行動や態度に出るにしても、被害者としてでなく、単純に何をどうすればそこからぬけるか、だけの話だ。
どんなに戦っても、流れには逆らえないが、すくなくとも、恐れることはなくなる、
いや生物としては、恐れはあるのだろうが、健康な情報を手に入れれば、前頭葉がカバー
してくれるだろう。


もしも、多くの日本人のように争いを好まず、他人の境界をふまず、あいまい、な感じでやっていけたら、未来永劫平和が訪れるのだろうか。


わたしは、そんな夢見なときもあった。
陰謀論者は、わりとこんな感じ。日本的になればいい。
おいおいそれじゃ、かれらと同じだよ。
自分たちの価値観をおしつけるのはいいわけ??? 
こちらが正義といいはれば、彼らとて正義なのだ。


どちらかが正義という発想自体が低い次元のものなのだ。 物理次元
OSHOも、トータルでみる大切さを説いている。これはタオからきているのだが、
心理学的にいうとゲシュタルトだ。
いま、自分の状況なりなんなりが、全体的像(ホールネス、なぜかというと)、現れている現象はその一部だから。をいろいろな次元で見る必要がある。
物理、時間的、この世界は層になっているからだ。
虹のようなもの、けして、赤、 青、 といった個別の色があるわけじゃなく、
手前の色?をふくみながら、色がかわっている。
それといっしょで、次元というのは、別々の層でなく、重なっている感じ。
だから、一番重たい物理次元のみにフォーカスするのでなく、次元的にも全体像をみなければならない。 みる、といっても、みえないんだけど^^; 意識的に。
もちろん、意識というのは無意識をモデリングしたものなので、(入れ子構造)
現実に、やっている行為自体にも全体像がある。それはたとえるなら、
プラモデルを(モデル)を作るときの部品がどの全体の一部なのか、(これがゲシュタルト)ということ。 一つの視点と多視点、が大切。


スピでも、次元がわからずに、しゃべってる人が多いので勘違いされるのだと思う。
たとえば、わたしが被害者はやめる、としたとき、並列にいくのではない。
垂直だ。上。 内でも同じだが。 
加害者と被害者両方を含めるくらい上に立つ(意識)という意味。
ここのレベルがかわっているのに
被害者→脱被害者   ×


  脱被害者     〇
被害者⇔加害者            さらに上へ上へと意識を   



直線的にものごとをとらえすぎないように(左脳ロジック)。

自分の身体に耳を傾ける

傾けたとき、いやだっ と、反応があることがあります。
たとえば、このブログ見たくない。この本よみたくない、など。
すると、普通はよし嫌がっているからやめよう、となるのですが、
実は、それは自我が嫌がっているだけ、というお話。


だれもが自分がこうだ、と信じるものを否定してくる内容っていやじゃないでしょうか?わたしは、結構自尊心高いほうで^^;
自分の考えなどが否定されると、むっきーとなるタイプでした。


そうした片意地張った状態から抜けると、読んでみようかな。
という気になり(結局気になっているので、読んでみる。もっとも、お金の使い方がかわったので、もう本を買うことはなく、無料で読む。)


そうするとね。 


うんうんやっぱり大事な情報がおちていました。
わたしにとってめちゃくちゃ大事な情報


食べるときの姿勢とその影響について。

目からうろこでした。 そこだったかーー


やってみたら効果てきめん!


なにか健康上の問題があると、すぐに何をしたらいい(運動、療法など)、何をたべたらいい、となるのですが、なにもいらない。いや、ひとつだけいる。


意識です!  はい、無料^^

私の現実化

こうありたい、そう描いたのはいつのころだろう。
それがついに現実化した。


お金がないから買えない、でなく、あるけど買わないという選択すること。
地位も名誉もなにもないけど、自分をすきでいられて、丸ごとOKでいられること。
もちろん、先にかいた、ハヤメシをやめること
そして、丁寧に生きること。


とくに、死ぬまでにやりたいことは、最後の丁寧にいきることだった。
できるだけ多くの物を処分し、手放し、身軽になって死ぬこと。
なんとなく死に方までもイメージしていたのだが、


もう道筋というかゴールがみえてくると、もう死ぬのかなって思うときもある。
明日死んでもいいように、とはできるだけ心掛けてきて、イメージとレーニングもしたりしたけど、本当に現実化していることに改めてうれしく思う。
世の中の現実化ビジネスはあれがほしいこれがほしいだけど、
そんなもの、本気のだったら必ず実現するよ。まずいままで現実化したものを認識しよう。必ずある。 一生懸命やりすぎて?必死すぎて、わたしは現実化できてない!って思っちゃうときがあるのよ。そうした現実化ビジネスが提唱するワークで現実かしてないと。
できてないのは、ワークの仕方が悪いのでも、ワークがだめなのでもなく、それに反対している自己がいる、あるいは、わたしのように、時間がかかるのだと思う。
あまり、セミナーにお金と時間を費やさなくてもいいのよ^^
意図を明確にし、一度だけイメージし、すべての行動はそれにつながっていることを認識すれば、
反対している自己とも折り合いがついてくる。自然と。ワークを一生けんめいやる、というその取り組み(強制)が摩擦を起こしている。 経験談