時事問題やスピリチュアル業界に関するひとりごと 

10年以上スピリチュアルや自己啓発系 心理学系セミナーやコースを受け、気づいたこと。

行動のベースは何か

ほぼすべての人が、日々起きることに対し、ロボット的反応しかしない。
私も、今日は感情ベースで動いていることを痛感したできごとがあった。
お迎えの時間を一時間も間違えて知らされたため、(この一時間も、の、も、に感情がはいっている)怒りがわき、もうお迎えはしないといったのだ。
ガソリンがもったいない(金銭的に)、時間を無駄にした。この野郎、という怒り。
これだけなら、気づいただけまだましなのだけど、本当の問題はここから。
この怒りが静まらないのです
もう済んだことだし、今は、終わったこと。お金にしても、時間にしても、取り返しがつかないほどのものでもないし、で、なんで負の感情がいつまでも残るのか、ってまたいらいらしたり。
感情は動物レベルの反応だし、単なるロボットなんです。
子供のころ、自分が行ったことに対し、両親からほめられたか、おこられたか、
その反応によって、自分の行いが正しかったのか、間違っていたのか、を判断するようになる。
韓国の問題が、戦後から今に至るまで、続くのは、このような、相手が怒っているから、こちらは配慮しなければ、こちらに非があるのでは、と思ってしまうからではないだろうか。
感情で動くというレベルをまず一つ越えて、論理的に判断できるようにしたい、
それとて、まだロボットなんだけど、感情というあいまいなものよりは、文明的だ。
魂のレスポンスとはいったいどういうものだのだろうか。

わかりやすいことの弊害

テレビで、何かの現象を説明したり、学校などで先生が事象を解説したりするとき、
情報の提供側が、受けてにわかりやすいように、グラフ化、イラスト化する。
パよく池上彰がよい例。 ちなみに中田もぱよってしまった。かれも、 わかりやすい
授業で定評。
情報の受け手は、彼とらのようなわかりやすく、時に熱を込めて話すスピーカーを称賛し、内容も疑うことなく受け取りがち。
ここで、デザイン思考の佐宗さんの本のことばや、ニューコードNLPのグリンダー氏のことばが浮かぶ。


複雑さと簡潔さ


我々が住んでいる複雑で、情報過多で、時間的に忙しい人たちは、こぞってわかりやすさ、簡潔さを望むのだが、これには、危険が伴う。
それは、人間が避けることのできない、三要素、削除、一般化、歪曲、である。
簡単、であるがゆえに、情報発信者ががかけたフィルターを通した情報、すなわち、削除され、一般化され、歪曲された情報が、ストンとはいってしまうのだ。


複雑なものを複雑なまま理解できないなんて誰が言ったの?
そんなの赤ちゃんでもやっているのに。


さらにいえば、わたしたちは、段階的勉強になれてしまっている。会計のような数学は別として、たとえば、言語を学ぶときかならず、現在形のみ! BE動詞のみ、といった感じで、習うが、これこそが、日本人の英語嫌いの原因かもしれない。
どこの世界に、現在形だけで、会話が成り立つ民族がいるのか、(時間という概念のないところならあるかも)


いづれにしても、昨今、プレゼン、プレゼン、と、わかりやすく、伝えること、裏の目的は、もちろん、相手のコントロールだが、に、躍起になりすぎて、肝心の中身がない
という事態は、憂うべき問題だ。
こと、政治や選挙におけるわかりやすく、おもしろい、キャッチ―、な大衆ポピュリズムや、印象操作。たとえばブルーツリーのような、ジャーナリストなのに、印象だけで、物をいう、それに人々が賛同しまう。
こんな危うい社会はない。


一人一人がなるべく、情報の源泉一次情報にふれることで、理解することが必要。


真実にたどりつけるか?


何が真実なんだろう。


わたしたちの脳は、世界をありのまま見ることをできなくしているのに。

悪しき平等主義を正す

平等(イコール)の概念をもちこんだのは、フランス革命をおこした共産主義者だったか。
ユダヤがドイツ人と同じ権利をもつということを、訴えたんだっけ。
この平等というやつが、そうした文脈から離れ、独り歩きし、
共産主義者や社会主義者、弱者救済ビジネスをするやからに利用されている。
守るべきは、平等でなく、公平だ。
例えば、兄弟が3人いても、一人が両親の面倒をみれば、その一人が遺産を多くもらえるのが、公平。 おなじ兄弟なのだからと、三等分きっちりするというのが平等。
最近は、権利のみを主張する輩が多いから、この手の発想をする人が多くて困る。
我欲しかない人間のいきつくところはきまっているが。