時事問題やスピリチュアル業界に関するひとりごと 

10年以上スピリチュアルや自己啓発系 心理学系セミナーやコースを受け、気づいたこと。

パラダイムシフト

12月26日
世の中はクリスマスでしたが、まったく浮かれることなく、いつもの一日を過ごす。
しかし、夕飯は、無意識にチキンのクリームシチューを選ぶ。クリスマス=チキンがしっかり洗脳されているようだ。


七つの習慣を読み、自分原則、パラダイムシフト、という概念を知ってから、何年たったのだろう。ようやくわたしも、この冬至をもって完全にパラダイムシフトができた。
私の場合、知識が先立ち、わかったような感じで生きてきたのだけど、(いやいまでもそうなんだろうが)やっぱりどこかこんな風に生きたいというのが、そのとき出来上がっていて、わたしの情報空間、アカシックレコード、ネーミングは何であれ、しっかり書き込まれていたのだと思う。
それはすべて実現している。
実現するのは当たり前で、みんなそうなんだけど、まだできてない!引き寄せてない!こんなやりかたはだめだ!自分はだめだ!って思考の迷い子になる。
そこへ、グーグルさんが集めた情報から、とっておきのなんちゃらセミナーを、ひらひら宣伝してくれるものだから、ぱくって食いついたりして。。。
まあそんな踊らされ人生にも終止符をうち。
打ったつもりが、また違う箱の中にはいってたりして^^;
いったい、人間はこの内的世界からでられるのかね。


本当に必要なもの、だけしか持たないのなら、みんながみんな余裕をもって生きれる。
でも、本当に必要なものという定義はやっぱ人によって違うんだ、とつくづく思う。
本当に必要な物、と思っているもの。といったほうが正確か。


いづれにしても、まったく同じことをやりながら、違う結果を求めるというのは狂気の沙汰である。だから、といって、じゃあこの方法(本人は違うことをやっているつもり)
てのは、まるでわかってない。いや以前のわたしだけど。


呼吸、呼吸からくる体感覚、身体の使い方、考え方、ことばづかい、そしてだいじなのは、それをどうやるか、このhowをかえること。


もちろんこういったことは賢者のことばとして幾度となくきいていたけれど、
やっぱり知識だけだったし、そんなの無理っしょって思っていた。


可能性の限界はやはり思い込みにすぎない。


忍耐強く、be patient これ日本人の美徳じゃないよ、日本人意外と、ちゃきちゃきせっかちだと思う^^; これも忙しく動かなければ死ぬっていう、洗脳なんだよね。
ひとりはみ出さないのは、たんなる同調圧力、村八分をおそれるDNA
個が意識されない社会では、自然と分け合うことができる。
しかし、個が認識されたら、(他者と自分をわけること、世界と自分を分けること)
やはり生き残りをかけるのが本能だ。
日本人の場合、ひとり抜け駆けしないことが、生存につながる。
美徳じゃない。それは個人の価値判断だ。
はっきりいって、すごいだの、ひどいだの そうしたジャッジはすべて個人の基準にてらしあわせているだけ。人間として、すごいね、さすがだね、すばらしい、いわゆる3Sは
潤滑油として必要だけど。(それに対抗して、ブラマヨ吉田が放った3s。知るか、死ね、しばくぞ、(だったかな?)がおもしろすぎた!)
ただある、ただおこったっていう視点(このときの視点はただ見方を変えるのではない。
つまり、一階から二階へあがるのではない。この視点にいるときの身体感覚は先のジャッジのときとは、変わっている。周波数が違う。使っている脳?が違う)


人間をもし二つのタイプに分けるとしたら、(到底わけられないが)自分が完璧であることを知っている人と、自分が完璧であることを知らない人、の2種類だとおもう。
やっぱり完璧だ。完璧すぎるぐらい完璧。
そして平等。それは太陽が誰にでも降り注ぐかの如く。平等なのだ。
違いは、どこでうまれるか。


認識だ