時事問題やスピリチュアル業界に関するひとりごと 

10年以上スピリチュアルや自己啓発系 心理学系セミナーやコースを受け、気づいたこと。

ほめられて動くほど単細胞じゃないって

昨今、ほめて伸ばす、というのがはやりだが、結構トリッキーである。


ほめるか、しかるか、の2者択一で考えるほど危険な物はない。


つねに、状況と文脈、個体差、両者の関係性、などなど。


まあ、それを前提にして、ほめると、なにがいいのか、を話すのは楽しい。


両極がぶつかりあって、新しい波(見方)ができる、それ、すなわち進化なり。


だから、ディベートの本質を知らない人が、がちの口論になってしまうのは残念だ。


特に、感情的になってしまっては、目も当てられぬ。いや耳か?


感情を発散してすっきりして、本人たちは楽しんでいるのかな。


多くの日本人の場合、相手の意をくんで できるだけ口論をさけるのが知恵だったが、


それでは、国際競争に負けるとばかり、自分の意見を言う、ということに重きを


置かれるようになった。


しかし、いまでも、学校では同じように同じことを考えることを求められている、いや自


然とそうなってしまうのだ。


小学校で、だれかが意見を言うと、おなでーす、とかみなが、手をあげるのだが、


これ同調圧力がつよいもんだから、なかなか反論しづらいよね。


でも、さいきんはそういう子もふえてきてるのかな。


流れはおもしろい。


また、タイトルとかけはなれちゃった。